モノの価値



物理的に存在する「モノ」の価値とは何でしょう?

第一段階>> 「実存」
第二段階>> 「機能・性能」
第三段階>> 「価格」
第四段階>> 「快・楽・満」


第一段階 「実存」>>

モノを買う人にとって、その価値とは実存することです。言い換えれば、自分の家に、モノがあるかないかということです。
ステレオの場合、音が出ればいいし、ファクシミリの場合、文字が送受信できれば良いのです。 まず、モノが家に実存することが価値となります。


第二段階 「機能・性能」>>

こうして、その「モノ」がどの家庭でも見られるようになると、機能や性能が価値を持つようになります。たとえば、「リモコンが付いてるよ」、「タイマーが付いているよ」というようになるのです。
日本で、1500cc、1600cc、1800ccなどとエンジンの大きさを細かく区切って「cc」で呼ぶのは、数値による差別化です。
こうして機能・性能に価値が出てくると、比較基準が数値ではっきりするようになり、技術的に優れたメーカーが選別されます。こうして、ブランドが出来あがってくるのです。
「家のファクシミリは、・・のカラーでスキャナ機能付きだよ」という風になります。

ところが、技術が行き着いて、機能が多くなりすぎたり、機械自体が大きすぎたりしても、利用価値は薄れていきます。
家庭で使う冷蔵庫の大きさにも限界があるように、「750cc以上のバイクは日本で売らないようにしましょう」となることもあるのです。
故障もしない、何も比較する数値基準がない。こうして機能・性能では価値を生めなくなるのです。

今、自動車は、ユーザーの好みにあった形や仕様の車をタイミング良く市場に出せる会社でないと勝てません。これは、携帯電話でもパソコンでも同じです。軽い携帯電話や、新しいデザインのパソコンなど、出した瞬間にシェアが大きく変わるのを見ても、いかに市場に合った製品を、タイミング良く提供することが大切かがわかります。
性能で差別化できなくなった製品は、コロコロ変わる市場の嗜好に合わせる為に、開発期間を短くする必要があるのです。


第三段階 「価格」>>

人は同じ、機能・性能で、品質が保証されていれば安い方を選ぶのは当たり前です。
そうなると、価格そのものが価値となってきます。ここで、生産はアジアに移っていきます。例えば、服、時計、家電です。産業革命後に、早くから開発されたものから、機能・性能がどんどん成熟化すると、順に、コストの安い国に生産が移っていきました。


第四段階「快・楽・満」>>

生産原価が、価格を大幅に下回ると価格は競争力を失います。安くて性能が良くても買わないことがあります。

代表的な例に、SWATCHの時計があります。
1995年、時計の生産額が、25年ぶりに、スイスが日本を抜いて1位に復活しました。時計全体の価格は、香港でも日本でもスイスでも1,000円までで作成できるとすれば・・・
価格が、8,000円ならどこの国で時計を作成しても利益は十分確保できるでしょう。8,000円前後のSWATCHなら誰でも、好きな時計が買える値段です。
では、何故、スイス製を買うのか?
ヨーロッパのイメージや高級なデザイン、スイス製の方が、買った人にとって気分が良いのでは・・・。人は、快さ、楽しさ、満足を買うのです。スイスの文化までも買っている気分なのです。

「モノ」に代わって、価値を持つものは「知」です。
「知」とは、人類に「快・楽・満」を与えるもです。快さ、楽しさ、満足、脳がそう感じるものに、人はお金を払います。
たとえば、人の持っていないルイ・ビトンのバッグの「快さ」に、ゲームの「楽しさ」に、掃除機や洗濯機の「楽」にお金を払うのです。だんだんとモノから、遠ざかります。
自分だけが特別に知っている情報、知識。脳に直接刺激を与えるもの。このように、モノではない何かに価値を見出します。この域になるとモノを作ることに対する価値は失われます。何を作るかが価値を持ちます。
モノは、「知」を人間の脳に伝えるための媒体にすぎません。「知」こそが、21世紀の産業です。21世紀の国力を測る単位は、GNPからGN?となるのでしょうか?

   
Copyright 1999-2011 by TAKADA KANAGATA INDUSTRY CO.,LTD. All rights reserved.